2009年11月22日
今日は何の日??
皆さん、こんにちは
今日は何の日かご存知ですか
そうです、「いい夫婦の日」なんですょ~
ちなみに、鹿角市には「皮投げ嶽」と言う山がありまして、奥羽山脈の眺望が素晴らしく、五の宮嶽、三倉山にかけての尾根登山は「三嶽詣り」と呼ばれ、古くより山岳信仰の登山ルートとして親しまれてきました。 この山の標高が 1,122mと言うことで「いい夫婦の山」というわけです。

実は、この山にも伝説がありまして、「二人のマタギが猟に来ていて、この山から家族のことを思いだし、家族を連れて鹿角に住み着いた。」というモノです。(伝説はコチラから)
これ以外にも多くの伝説が伝わっているので、また、紹介していきたいと考えております。

今日は何の日かご存知ですか

そうです、「いい夫婦の日」なんですょ~

ちなみに、鹿角市には「皮投げ嶽」と言う山がありまして、奥羽山脈の眺望が素晴らしく、五の宮嶽、三倉山にかけての尾根登山は「三嶽詣り」と呼ばれ、古くより山岳信仰の登山ルートとして親しまれてきました。 この山の標高が 1,122mと言うことで「いい夫婦の山」というわけです。
実は、この山にも伝説がありまして、「二人のマタギが猟に来ていて、この山から家族のことを思いだし、家族を連れて鹿角に住み着いた。」というモノです。(伝説はコチラから)
これ以外にも多くの伝説が伝わっているので、また、紹介していきたいと考えております。

2009年07月16日
錦木塚
いかにも梅雨らしい、スカッと晴れない日々が続いています。
そういう時候とは何の関係もないのですが、「錦木塚」というものがJR十和田南駅近くにあるということはかなり前から知っていましたが、このたび実際に訪れてみました。

今は通行量も少なくなったこの通り、右側が駅、左側がその錦木塚です。
あたりは、なにやらひっそりとしています。
道路に面した入り口脇に、まずこの石碑が建っています。

敷地内に入ると、こういう案内図が立っています。
ここは「錦木塚伝説公園」として整備されていることが分かりました。
敷地の一番南には「錦木市民センター」があり、錦木地区の中心地なのでしょうか?

進んで行きますと、こんなに大きな木の切り株が
県内各地の巨木、古木でも、幹回り5mというのはあまりないのでは?

「ハリギリ」という種類の木だそうですが、これまで見たことがありません。
一般的な桐はこんな大木にならないと思います。
更に進みますと、「錦木塚」本体が見えてきますが、その手前、ここにも大きな木の切り株が。

そして、ついにこれが御本体です。
厳重に守られているようです。賽銭箱もありました。
茶色系の高さ1メートル弱の岩です。穴がたくさん空いているので、火山性の岩でしょう、きっと。

他にも、大イチョウの切り株もあったりして、かつては巨木がうっそうと茂る場所だったんだなと思われます。
いま生えているイチョウは子孫でしょうか?

錦木伝説を記したこんなものもあります。
かなり長いので読むのが大変です。

伝説を読みたい方は、県のホームページ「美の国あきたネット」のトップページの検索の窓に「錦木塚」といれますと、ばっちり出てきます。
この伝説は、室町時代に世阿弥が書いた「錦木」という謡曲として今に残っているそうです。
この公園は、水の流れもあしらわれていて涼味を味わうこともできます。静かな環境ですので、暑い日の夕涼みにでもどうぞ。
そういう時候とは何の関係もないのですが、「錦木塚」というものがJR十和田南駅近くにあるということはかなり前から知っていましたが、このたび実際に訪れてみました。
今は通行量も少なくなったこの通り、右側が駅、左側がその錦木塚です。
あたりは、なにやらひっそりとしています。
道路に面した入り口脇に、まずこの石碑が建っています。
敷地内に入ると、こういう案内図が立っています。
ここは「錦木塚伝説公園」として整備されていることが分かりました。
敷地の一番南には「錦木市民センター」があり、錦木地区の中心地なのでしょうか?
進んで行きますと、こんなに大きな木の切り株が

県内各地の巨木、古木でも、幹回り5mというのはあまりないのでは?
「ハリギリ」という種類の木だそうですが、これまで見たことがありません。
一般的な桐はこんな大木にならないと思います。
更に進みますと、「錦木塚」本体が見えてきますが、その手前、ここにも大きな木の切り株が。
そして、ついにこれが御本体です。
厳重に守られているようです。賽銭箱もありました。
茶色系の高さ1メートル弱の岩です。穴がたくさん空いているので、火山性の岩でしょう、きっと。
他にも、大イチョウの切り株もあったりして、かつては巨木がうっそうと茂る場所だったんだなと思われます。
いま生えているイチョウは子孫でしょうか?
かなり長いので読むのが大変です。
この伝説は、室町時代に世阿弥が書いた「錦木」という謡曲として今に残っているそうです。
この公園は、水の流れもあしらわれていて涼味を味わうこともできます。静かな環境ですので、暑い日の夕涼みにでもどうぞ。
タグ :錦木塚
2009年01月16日
もう一つの十和田山青龍大権現
鹿角地方では、ここ数日雪マーク
が続いています。
今日午前9時の積雪は47センチ。本格的な冬です。
さて、先日小坂町鴇入り口バス停そばの「十和田山青龍大権現」をご紹介したところ(この記事)、読者の方からもう一カ所あると教えて頂きましたので、雪が降る前に行って来ました(今は雪の中でしょう、たぶん・・・・・)。
鹿角市街地から行くと、国道103号線を大湯温泉郷に向かい、温泉郷を抜けたあたり、四の岱集落にさしかかったところにあります。
国道から左折して細い道に入るとすぐです。
まずは、ご覧ください。

「十和田山」までは読めます。「山」は古い字体です。
しかし、前に置かれた石のため、下の方が隠れています。
半分見えているのは「青」の字でしょう。
左右にもいくつか小さい字が彫られていますが、かすれたりして読めませんでした。
横から見ると、こういう配置になっています。

「青龍」の2文字も見えます。
左の石のいわれは分かりません。
その右側に少し離れて新しい石碑があります。

こちらははっきり字が読めます。
平成12年に奉納されたことが分かります。
石碑から少し離れてみると、こんなふうになっています。
鳥居、石段、新しい石碑と続いています。
古い石碑は、左側にあってここからは見えません。
鳥居には「十和田神社」と記されています。
かつてはここに社殿があったのでしょうか?
十和田湖とその周辺は聖域とされていたそうです。
国道103号線の原道は白沢道と呼ばれ、古くからその聖域に通じる主要道のひとつでした。
十和田神社は青森県側にも多数あります。誰でも真っ先に十和田湖の中山半島にある神社を思い浮かべるでしょうが、調べるとそのほかにも、信仰の対象になり、祭礼が行われてる神社がたくさんあることが分かり、信仰の篤さ、広さが伺えます。
が続いています。今日午前9時の積雪は47センチ。本格的な冬です。
さて、先日小坂町鴇入り口バス停そばの「十和田山青龍大権現」をご紹介したところ(この記事)、読者の方からもう一カ所あると教えて頂きましたので、雪が降る前に行って来ました(今は雪の中でしょう、たぶん・・・・・)。
鹿角市街地から行くと、国道103号線を大湯温泉郷に向かい、温泉郷を抜けたあたり、四の岱集落にさしかかったところにあります。
国道から左折して細い道に入るとすぐです。
まずは、ご覧ください。
「十和田山」までは読めます。「山」は古い字体です。
しかし、前に置かれた石のため、下の方が隠れています。
半分見えているのは「青」の字でしょう。
左右にもいくつか小さい字が彫られていますが、かすれたりして読めませんでした。
横から見ると、こういう配置になっています。
「青龍」の2文字も見えます。
左の石のいわれは分かりません。
その右側に少し離れて新しい石碑があります。
平成12年に奉納されたことが分かります。
石碑から少し離れてみると、こんなふうになっています。
鳥居、石段、新しい石碑と続いています。
古い石碑は、左側にあってここからは見えません。
鳥居には「十和田神社」と記されています。
かつてはここに社殿があったのでしょうか?
十和田湖とその周辺は聖域とされていたそうです。
国道103号線の原道は白沢道と呼ばれ、古くからその聖域に通じる主要道のひとつでした。
十和田神社は青森県側にも多数あります。誰でも真っ先に十和田湖の中山半島にある神社を思い浮かべるでしょうが、調べるとそのほかにも、信仰の対象になり、祭礼が行われてる神社がたくさんあることが分かり、信仰の篤さ、広さが伺えます。
2008年12月17日
十和田山青龍大権現碑(とわださんせいりゅうだいごんげんひ)
八郎太郎が現鹿角市の生まれで、蛇身と化し山中の流れをせき止めて湖を作り、その主となって住みついたという伝説は広く知られているところです。
その湖が十和田湖と言われています。
永遠とも思われた八郎太郎の眠りを打ち破ったのが南祖坊(なんそのぼう)です。
詳細は省きますが、南祖坊は夢の中のお告げにより十和田湖畔を永住の地と定めたため八郎太郎と争いとなり、七日七夜の激闘の末、八郎太郎を追い払い湖の新たな主となったと言われています。
その南祖坊の化身が青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)であるというのです。
さてここから現実の世界に移ります。
小坂町に「十和田山青龍大権現碑」という石碑があります。「とわださんせいりゅうだいごんげんひ」と読みます。
この存在を知ったのはわりと最近です。奥深いところなのだろうか・・・・・、もう雪で埋もれてしまっているのだろうか・・・・・
考えていても仕方がないので、とにかく探しに出かけました。
まず、最初の目印は、「アカシア大橋」です。
小坂町の中心部から樹海ラインを十和田湖方面に向かうと道は左右にゆるくカーブしながら高原へと登っていきます。
2km強走って道がだいたい平坦になったあたりに、右側に分岐がありますので、これに入りますとまもなく見えてくるのが「アカシア大橋」です。

小坂町ご自慢の鉱山事務所のレリーフもあります。

これは十和田外輪山に源を発する「荒川川」をまたぐ橋です。水面までの高度差はかなりあります。
橋を渡って直進すると鳥越集落に入ります。最初の交差点には菅江真澄がこの地を訪れたことを示す標柱が建っていました。
この交差点を左折して次なる目印、「鴇入口バス停」を目指します。
これは簡単に見つかります。バス停のところが広くなっていて、雑木林を背にバス停看板が立っていました。
「鴇」と書いて「ときと」と読むそうです。近くに「鴇集落」があります。


さて、十和田山青龍大権現碑はこの近くにあるはずです。 辺りを探すと、水道施設と思われる小さな建物の向こうが小高くなっていて、柱が建っています。 近づいてみると柱の足元に石碑がありました。


こんな形の碑です。
碑の正面にはなんと書いてあるのでしょうか?
中央にほんとうに「十和田山青竜大権現碑」とあります。 「龍」でなくて「竜」になっています。左側には「龍○大明神」、右側には「天保○○○○○」と書いてあります。
天保年間は西暦1830年から1843年に当たります。江戸時代の後期ごろです。 裏面には「左面十和田道」と書いてあります。 写真はうまく撮れませんでした。 標柱に書いてあることを要約すると、 「かつて十和田湖は十和田山青龍大権現をご神体とする聖域であった(後略)」ということで、この石碑は聖域の入り口を示すものということになります。
石碑建立当時の聖域への信仰心の篤さが伺われます。
先ほどの鳥越集落の交差点脇に菅江真澄の足跡を示す標柱があると紹介しましたが、ここでは「十曲湖」と書いて「とわだのうみ」と読ませています。古い表記も興味深いものがあります。

石碑は車道のすぐ脇です。
右側から楽に登ることができます。
南祖坊が八郎太郎との戦いに勝利し中山半島から湖水に身を投ずると、水は静かに左右に開いて一本の道ができ、湖底に着くと一本の古木に「十和田山青龍大権現」の大文字が浮かび出ていたと伝説には記されています。
興味のある方はぜひ足を運んでください。

八郎太郎伝説はこちら
http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1133924431954&SiteID=0
その湖が十和田湖と言われています。
永遠とも思われた八郎太郎の眠りを打ち破ったのが南祖坊(なんそのぼう)です。
詳細は省きますが、南祖坊は夢の中のお告げにより十和田湖畔を永住の地と定めたため八郎太郎と争いとなり、七日七夜の激闘の末、八郎太郎を追い払い湖の新たな主となったと言われています。
その南祖坊の化身が青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)であるというのです。
さてここから現実の世界に移ります。
小坂町に「十和田山青龍大権現碑」という石碑があります。「とわださんせいりゅうだいごんげんひ」と読みます。
この存在を知ったのはわりと最近です。奥深いところなのだろうか・・・・・、もう雪で埋もれてしまっているのだろうか・・・・・
考えていても仕方がないので、とにかく探しに出かけました。
まず、最初の目印は、「アカシア大橋」です。
小坂町の中心部から樹海ラインを十和田湖方面に向かうと道は左右にゆるくカーブしながら高原へと登っていきます。
2km強走って道がだいたい平坦になったあたりに、右側に分岐がありますので、これに入りますとまもなく見えてくるのが「アカシア大橋」です。
小坂町ご自慢の鉱山事務所のレリーフもあります。
これは十和田外輪山に源を発する「荒川川」をまたぐ橋です。水面までの高度差はかなりあります。
橋を渡って直進すると鳥越集落に入ります。最初の交差点には菅江真澄がこの地を訪れたことを示す標柱が建っていました。
この交差点を左折して次なる目印、「鴇入口バス停」を目指します。
これは簡単に見つかります。バス停のところが広くなっていて、雑木林を背にバス停看板が立っていました。
「鴇」と書いて「ときと」と読むそうです。近くに「鴇集落」があります。
さて、十和田山青龍大権現碑はこの近くにあるはずです。 辺りを探すと、水道施設と思われる小さな建物の向こうが小高くなっていて、柱が建っています。 近づいてみると柱の足元に石碑がありました。
こんな形の碑です。
碑の正面にはなんと書いてあるのでしょうか?
中央にほんとうに「十和田山青竜大権現碑」とあります。 「龍」でなくて「竜」になっています。左側には「龍○大明神」、右側には「天保○○○○○」と書いてあります。
天保年間は西暦1830年から1843年に当たります。江戸時代の後期ごろです。 裏面には「左面十和田道」と書いてあります。 写真はうまく撮れませんでした。 標柱に書いてあることを要約すると、 「かつて十和田湖は十和田山青龍大権現をご神体とする聖域であった(後略)」ということで、この石碑は聖域の入り口を示すものということになります。
石碑建立当時の聖域への信仰心の篤さが伺われます。
先ほどの鳥越集落の交差点脇に菅江真澄の足跡を示す標柱があると紹介しましたが、ここでは「十曲湖」と書いて「とわだのうみ」と読ませています。古い表記も興味深いものがあります。
石碑は車道のすぐ脇です。
右側から楽に登ることができます。
南祖坊が八郎太郎との戦いに勝利し中山半島から湖水に身を投ずると、水は静かに左右に開いて一本の道ができ、湖底に着くと一本の古木に「十和田山青龍大権現」の大文字が浮かび出ていたと伝説には記されています。
興味のある方はぜひ足を運んでください。
八郎太郎伝説はこちら
http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1133924431954&SiteID=0

