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2008年12月17日

十和田山青龍大権現碑(とわださんせいりゅうだいごんげんひ)

 八郎太郎が現鹿角市の生まれで、蛇身と化し山中の流れをせき止めて湖を作り、その主となって住みついたという伝説は広く知られているところです。
その湖が十和田湖と言われています。
 永遠とも思われた八郎太郎の眠りを打ち破ったのが南祖坊(なんそのぼう)です。

 詳細は省きますが、南祖坊は夢の中のお告げにより十和田湖畔を永住の地と定めたため八郎太郎と争いとなり、七日七夜の激闘の末、八郎太郎を追い払い湖の新たな主となったと言われています。

 その南祖坊の化身が青龍大権現(せいりゅうだいごんげん)であるというのです。

 さてここから現実の世界に移ります。
 小坂町に「十和田山青龍大権現碑」という石碑があります。「とわださんせいりゅうだいごんげんひ」と読みます。

 この存在を知ったのはわりと最近です。奥深いところなのだろうか・・・・・、もう雪で埋もれてしまっているのだろうか・・・・・
 考えていても仕方がないので、とにかく探しに出かけました。

 まず、最初の目印は、「アカシア大橋」です。
 小坂町の中心部から樹海ラインを十和田湖方面に向かうと道は左右にゆるくカーブしながら高原へと登っていきます。
 2km強走って道がだいたい平坦になったあたりに、右側に分岐がありますので、これに入りますとまもなく見えてくるのが「アカシア大橋」です。




 
 小坂町ご自慢の鉱山事務所のレリーフもあります。



 これは十和田外輪山に源を発する「荒川川」をまたぐ橋です。水面までの高度差はかなりあります。

 橋を渡って直進すると鳥越集落に入ります。最初の交差点には菅江真澄がこの地を訪れたことを示す標柱が建っていました。

 この交差点を左折して次なる目印、「鴇入口バス停」を目指します。
 これは簡単に見つかります。バス停のところが広くなっていて、雑木林を背にバス停看板が立っていました。
 「鴇」と書いて「ときと」と読むそうです。近くに「鴇集落」があります。












 さて、十和田山青龍大権現碑はこの近くにあるはずです。  辺りを探すと、水道施設と思われる小さな建物の向こうが小高くなっていて、柱が建っています。  近づいてみると柱の足元に石碑がありました。










 
こんな形の碑です。

 碑の正面にはなんと書いてあるのでしょうか?

  中央にほんとうに「十和田山青竜大権現碑」とあります。 「龍」でなくて「竜」になっています。左側には「龍○大明神」、右側には「天保○○○○○」と書いてあります。
天保年間は西暦1830年から1843年に当たります。江戸時代の後期ごろです。  裏面には「左面十和田道」と書いてあります。 写真はうまく撮れませんでした。  標柱に書いてあることを要約すると、 「かつて十和田湖は十和田山青龍大権現をご神体とする聖域であった(後略)」ということで、この石碑は聖域の入り口を示すものということになります。
  石碑建立当時の聖域への信仰心の篤さが伺われます。

   先ほどの鳥越集落の交差点脇に菅江真澄の足跡を示す標柱があると紹介しましたが、ここでは「十曲湖」と書いて「とわだのうみ」と読ませています。古い表記も興味深いものがあります。



  石碑は車道のすぐ脇です。
 右側から楽に登ることができます。

 南祖坊が八郎太郎との戦いに勝利し中山半島から湖水に身を投ずると、水は静かに左右に開いて一本の道ができ、湖底に着くと一本の古木に「十和田山青龍大権現」の大文字が浮かび出ていたと伝説には記されています。

 興味のある方はぜひ足を運んでください。









 八郎太郎伝説はこちら
http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1133924431954&SiteID=0




 

  


Posted by のんびり探検隊 at 13:51Comments(1)観光施設