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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2008年10月21日

最高の一枚!

かづのでは、もう2週間以上好天が続いている。紅葉は、八幡平
がピークアウトして、今は十和田湖が見ごろだ。花輪の街の木々
もだいぶ色付いてきたので、今日は、町の中心にあるかつての
花輪城館跡(桜山公園)に行ってみる。
駐車場口から見上げると・・・、桜はもう散っている雰囲気が・・・・。



裏手はこんな感じ。児童公園になっている。赤いのはナナカマド
の実。葉はすっかり落ちてしまった。
 


参道(遊歩道)は落ち葉が敷きつめられ、歩くとカサカサと乾いた
心地よい音が響く。
 




いろはもみじは先端部から色づき始めた。
 


ムラサキシキブの実はすっかり色づいた。
 


本丸は・・・・。果たして、桜は散りきっている。



ここは、盆地の底から100mほどの高台に位置する。
3万年前と言われる十和田(湖)の大噴火の際の噴出物が浸食
を受けて形成された。
盆地の東側には、こうした火砕流台地が点在していて、
縄文時代にはストーンサークルが作られ、中世にはこれらの
台地上に城館がいくつも建てられた。
花輪城もそのひとつで、南部氏の所領となったこの地方を
近世、江戸時代を通じて治めることになる。
やがて幕末・・・・、南部藩と、奥羽越列藩同盟を抜けて勤王方に
付いた秋田藩は、この地で激しい戦闘を繰り広げる。
結果は、周知のように秋田県鹿角郡に国替えされることとなった。
皮肉なことに、南部領家の花輪城館跡には、明治新政府によって
護国神社が造営されたのである。
南部家の宗廟は盛岡にあり、その名を桜山神社という。
花輪南部の戦死者の眠るこの地を桜山公園と呼ぶ所以である。
 
発見!桜の古木はすべて右旋回?
 


公園に隣接する花輪小学校の生徒がやって来た。
いろいろな落ち葉を拾い集める学習。
今は理科でなく確か生活科とか言う

 


おいおい、ちゃんと集めたのか?
 



最後に先生が生徒に一言。
「みんなが拾った中で最高の一枚を一斉に見せてください。」
それじゃぁ、私も。「いち、にぃの、さん!」

  


Posted by のんびり探検隊 at 21:40Comments(1)四季