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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2012年08月24日

対い鶴(むかいづる)

毛馬内盆踊りの会場である

「毛馬内こもせ通り」を歩いていると…





これは…

盛岡藩南部家の家紋「対い鶴」ではないですか!

face08

藩政時代、鹿角地域は盛岡藩南部領であることは、

皆様もご存じ(?)のことと思いますが、

このように南部家の家紋をみると、改めてそのことを認識することができます。

小坂町との境に近い毛馬内運動公園に足を延ばすと…



晴天なり晴れ。いと暑しface07

ではなくて、



このように石碑が設置されており、そこには

「天文五年(1536年)南部藩22代藩主正康公五男信次君・秀範、2000石を

 賜り毛馬内姓を名乗り鹿角郡毛馬内の庄を治める」と書かれています。

書物(「秋田県の歴史」)によると、

戦国時代、南部氏にとって鹿角の地は、

西(秋田)の安東氏とその傘下にある浅利氏との対峙のため

重要な地域と位置づけられていたそうです。

そこで南部秀範が毛馬内に入り、毛馬内氏を名乗り、

郡内を治めたというのです。



現在でも毛馬内のまちで「対い鶴」がみられるのは、

こうした背景があるのだろうと思われます。

一人歴史散歩の(ひと)でした。  


Posted by のんびり探検隊 at 08:01Comments(0)